STATEMENT


「オモヒデノハコ」ということ
 「オモヒデノハコ」というのは一言で言ってしまえば、鉄道車両の車体のことです。特に乗客を乗せる車両には、乗客1人1人の人生がつまっている気がします。子どものころ、初めて乗った電車。家族で動物園に行くときに乗った電車。遠方へ旅行するのに一晩揺られた列車、社会のその時代ごとの空気も運んでいた列車…。貨車にも積荷に人々のさまざまな思いがこめられていた気がします。そんなさまざまなものがつまった象徴として、「オモヒデノハコ」と呼び、ホームページの名前にしました。

「オモヒデノハコ」ということ
 「オモヒデノハコ」というのは一言で言ってしまえば、鉄道車両の車体のことです。特に乗客を乗せる車両には、乗客1人1人の人生がつまっている気がします。子どものころ、初めて乗った電車。家族で動物園に行くときに乗った電車。遠方へ旅行するのに一晩揺られた列車、社会のその時代ごとの空気も運んでいた列車…。貨車にも積荷に人々のさまざまな思いがこめられていた気がします。そんなさまざまなものがつまった象徴として、「オモヒデノハコ」と呼び、ホームページの名前にしました。


私の作品について
 私の作品は、いわゆる「心象風景」です。ですから描かれているものは、現実に存在する風景、人物ではありません。作品を通して、時代に流されずに「どんなに時代が移り変わっても変わらないこと」、そして「変わってはいけない本質的なこと」を表現していきたいと考えています。私の作品を見ていただく方が、様々にイメージをふくらませたり、心に響く何かを感じて頂けたら、とてもうれしく思います。


 「鉄道」というモチーフ
 鉄道を作品のモチーフに使い始めたのは、ちょうど国鉄が分割民営化されたころ、大学で絵を少し本格的に描き始めたころでした。その動機は、分割民営化に伴い、消えてしまう国鉄を何とか形に残したいという単純なものだったような気がします。それ以来、色々と変化を続けながらも(ほとんど変っていないという方もいますが)、ずっと鉄道というモチーフを描いています。
  ずっと描き続けてきたことは、私の鉄道趣味に起因するところもありますが、鉄道というものに哲学的な意味を感じます。学生時代に描き始めた動機からいえば、あとからつけた理屈に聞こえるかも知れませんが、「鉄道」という存在は、「人生」になぞらえられると思うのです。映画やドラマ、音楽などで、鉄道・駅などは昔からよく取り上げられています。鉄道そのものが舞台のものもあれば、「旅立ち」、「別れ」の場面として、鉄道はつきものです。それは人生というものが、鉄道のレールと重なって見えるからでしょう。「人生」と「鉄道のレール」が重なると言うと、「決まったレールの上を進む人生は変えられない」というネガティブな印象を受けるかもしれません。でもそうではありません。人それぞれ生まれも育ちも違い、出会いもそれぞれ違います。そういった人それぞれのものが、その人にとっての「レールの方向」になっていくのだと思うのです。そして、そのレールを受け入れた上で、自分はどう生きていくかが大切なのではないかと考えています。だから、そのレールが自分にとって好まざるレールだとしても、そこには深い意味があるのだと思うのです。


 鉄道車両の一生
 「オモヒデノハコ」である鉄道車両ですが、鉄道趣味的に考えると、鉄道車両の一生というものは、きわめて人間に近いものを感じます。まず製造されて営業に使用されるにあたって、必ず「車籍」というものが作られます。人間で言えば、戸籍にあたるものです。そこから車両の「人生」が始まります。そして人間と同様、車両にも様々な「人生」があります。
  1つの路線を毎日走り続け一生を終えるもの。いくつもの路線を渡り歩くもの。何社も鉄道会社を渡り歩くもの。移動した先で、かつて同じ鉄道会社で走っていた仲間に出会うもの。運用の都合などで何度も改造されるもの。路線の廃止によって若くして廃車になるもの。不幸にして事故で廃車になるもの…。廃車になると車籍が抹消され普通は解体されますが、中には価値が認められ保存される場合もあります。
  このように見ていくと、まさに1両1両にドラマがあり、人間の一生を思わせるものがあります。こういった鉄道車両の一生を考えると、人間の一生とも重なり、これも人生の象徴のような気がしてなりません。


 レトロブーム
  最近、レトロなものが流行っているようです。私の作品を評して「レトロ」「ノスタルジー」とする方もいらっしゃいます。それはそれでいいのですが、最近の流行を狙っているわけではありません。自分が生まれ育った昭和40年代にはまだ30年代の空気も残っており、リアルな昭和を実体験できたので、レトロなものが流行る前から昭和30年代のものにはずっと興味がありました。それで作品のモチーフにも出てきたりするわけです。私は流行に乗るのはあまり好きではありませんので、むしろこのレトロブームは、あまりうれしいものではありません。
  最近のブームでは、新横浜ラーメン博物館やナンジャタウンのようなテーマパーク、デックス東京ビーチの台場三丁目商店街のようなショッピングモールなどだけでなく、映画でも「三丁目の夕日」がヒットしたり、昭和のデザインで復刻した商品や昭和にかかわるフィギュア、食玩が発売されたり、中には豊後高田のように町ごと昭和を売り物にしたり、博物館の展示でも何気ない日常であった「昭和」がテーマとして取り上げられるようになりました。さまざまな情報を入手しやすくなったのはいいのですが、熱しやすく冷めるやすい日本人のこと、ここまでブームになるのはちょっと…複雑な思いです。
 「昭和」を「古きよき時代」であるとか、「今の日本が失ってしまったものがあった」ような言い方もよく目にします。でも、21世紀に生活する現代の人間が、昭和の時代を本当によい時代だと感じているのかなあと思うときがあります。パソコンも携帯電話もありません。自家用車もエアコンも、持っている家庭はほとんどありません。旅行も飛行機ではなく、鉄道が中心です。特にリアルタイムで昭和を体験していない世代(昭和50年代以降生まれ?)には、物珍しさから興味を持っても、本当の意味で昭和を理解することは難しいのではないかと思います。それは都会に住む人が、田舎生活の本当の大変さを知らずに「田舎はいいなあ」と憧れることに通ずるような気がします。不便で今ほど豊かではなかった時代を顧みて、現代の生活スタイルやものの考え方を考え直し、変えていってこそ、レトロブームに意味があるのでは、と考えてしまうのですが、いかがでしょうか。